久留米絣とは
創始者『井上 伝』
久留米絣のルーツは1800年頃、当時12〜3歳だった井上伝(いのうえでん、1788〜1869年)という少女の発案がきっかけだとされています。色褪せた古着の白い斑点模様に着目した伝は、布を解いて模様の秘密を探りました。その結果、糸を括って藍で染め、織り上げて模様を生み出すことを考案したのです。伝は生涯にわたり、この技術を多くの人に伝え、久留米絣の普及に寄与しました。
かすりを繋ぐ匠の技術
久留米絣の発展には、多くの人たちの創意工夫がありました。特に草創期、絵や文字を自在に表現する「絵絣(えがすり)」の技法を発明した大塚太蔵(おおつかたいぞう)や、久留米絣独特の緻密な柄「小絣(読み)」を考案した牛島ノシは、井上伝と並ぶ功労者として称えられています。久留米を中心とした筑後地方では、農家の副業として久留米絣が盛んに織られ、明治以降は庶民の衣服として全国で愛用されるまでになりました。 久留米絣の発展には、多くの人たちの創意工夫がありました。特に草創期、絵や文字を自在に表現する「絵絣(えがすり)」の技法を発明した大塚太蔵(おおつかたいぞう)や、久留米絣独特の緻密な柄「小絣(読み)」を考案した牛島ノシは、井上伝と並ぶ功労者として称えられています。久留米を中心とした筑後地方では、農家の副業として久留米絣が盛んに織られ、明治以降は庶民の衣服として全国で愛用されるまでになりました。
伝統を守り、暮らしと共に進化する
数々の工程に、大変な手間と時間を有する久留米絣。200年以上にも及ぶ伝統は、激しく変遷する染織界の歴史の波にもまれながらも、連綿と受け継がれてきました。その歴史的・芸術的価値が高く評価され、1957年には国の重要無形文化財に指定されます。和装や洋装、インテリア、雑貨など、暮らしの中に幅広く溶け込む久留米絣は、日本を代表する織物として、今もなお多くの人々に親しまれています。
久留米絣の特徴
味わい深い絣の模様
手括り藍染めの手織り技術で、日本の木綿絣の中でも、群を抜く美しさを誇る久留米絣。緻密でありながら、素朴で温かみのある絣模様は、小柄から中柄、大柄、絵絣まで、様々な種類があります。模様の仕上がり具合を決める手括りの作業は、大変な熟練を要します。
手括り藍染めの手織り技術によって生み出される久留米絣の紋様は、生地幅(35〜38cm)に対する紋様の大きさと数によって、小柄、中柄、大柄に分類されます。
そして、その紋様は幾何学紋様と絵画紋様に大別され、いずれも縁起がいいとされる動植物や物などが多く用いられます。
匠が生み出す美しい色合い
藍染めには天然の上質な藍を使用。
濃度の低い下藍から、中藍、上藍へと順に染め上げていきます。藍に浸しては絞り、叩くという作業を実に約50~60回繰り返すことで、白と紺のコントラストが冴える美しい色合いが実現します。着て洗うたびに、一層色が冴えるのも藍染の特色です。
受継がれた手織りの技
投杼機(なげひばた)を使い、トントンと音を立てる、昔ながらの手織り作業。柄を合わせながら、丹念に織り上げる、その細かな工程の一つ一つにも、相当な技量が必要です。木綿の糸が織りなす、しなやかで素朴な味わいが、人の手のぬくもりを伝えます。